訪問日:2015/9/20
国道353号を走っていると中之条と渋川の境目あたりで妙な建物が目に付いた。
以前には無かったはずの櫓と柵が山にポツンと建てられている。
恐らく、藪に埋もれた史跡を整備して櫓を復元したのだろう。
そこまでは分かるが、櫓をはじめとする復元した建造物がやけに華奢なのが気になる。
丸太を組んだ簡易的な櫓は見るからに耐用年数が低く、10年も経てば造り直さねばならないだろう。
昨今の事業でそんな雑な整備を行うだろうか。
いや、これはきっと当時の建造物を正確に再現した結果なのだろう。
一見完成度が低く見えるが、これは逆に当時の建て方をそのまま復元した完成度の高い建造物ではないか、そんな憶測が頭をよぎり急遽立ち寄る事にした。
看板には「市城砦南部郭の出丸跡」とある。
つまり、戦国時代に作られた防衛用の砦という事だ。
となると丸太組みの簡素な櫓にも合点が行く。
ちなみに、この史跡が整備されたのは平成27年の6月頃。
丸太のみで構成された砦跡は戦国情緒たっぷり。
足軽になったつもりで山を駆け上がる。
そして櫓。
こんな簡素な櫓の復元は珍しいのではないだろか。
あいにく私は中世の建築事情に詳しくないので当時の櫓がどうだったかは分からない。
しかし丸太の櫓と柵、目下は田園風景、これはちょっと戦国時代っぽさを感じる。
んん?なんだこの造りは、良く見ると変な構造だ。
取りあえず見てくれだけを気にして造ったのか、構造的にはとても貧弱。
あ・・・。
よく見ると丸太同士は番線で接続されている。
この麻ロープはダミーか。
当時の完全再現をこだわって作ったのかと思いきやそうでもないよう。
こりゃちょっと残念。
番線のみで組まれた掘立櫓、大丈夫かこれ。
「材木も腐食が進んでおります。危険ですので登らないでください。」
まだ完成して4か月、もうこのような状況。
今後の管理はどうするんだか。
史跡の整備にあたって賛否あるだろうが、私はこのような整備は嫌いじゃない。
堀や石垣を見て当時の様子を想像するのも楽しいが、たまにはこのように当時の再現があっても面白い。
まあせっかく作ったのだから長く見られる事を切に願う。
現地の案内板によるとここは南部の郭らしく、対になる北部の郭もあるとのこと。
北部郭は整備されていないが、整備されたらまた訪れ足軽情緒を味わおう。
余談にはなるが、大河ドラマの真田丸に便乗して近ごろ群馬県各地で関連史跡の整備が進められている事に違和感を覚える。
個人的に上野国は長尾氏(上杉)のイメージが強く、戦国末期から来た真田はあまり群馬と関係ないと思っている。
また、沼田市は「真田の里」などと謳っているが、江戸時代には沼田藩を管轄した真田一族の虐政に大いに苦しめられた歴史を持ち、それを今となって真田様様と有難がるのは違うんじゃないかと思う。
戦国通の友人は「北条上杉武田の有力大名に囲まれた群馬県内の弱小大名たちの政治的立ち回りはとても面白い」と言っていた。
群馬は群馬らしく、そっちをアピールした方が盛り上がるのではないだろうか。
以上余談でした。
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