訪問日:2013/10/26
日本100名城の一つである金山城。
上毛カルタの「太田金山子育て呑龍」でお馴染み、太田市の金山山頂に位置する。
平成6~12年に行われた第一期整備事業で金山城は中世の姿を取戻し、堀や石垣からは創意に富んだ強固な設計が垣間見れる。
確かな発掘調査と完璧な復元に加え、充分すぎるほどの説明看板。
費やした金額はもとより、整備事業に参加したスタッフの熱意をこれでもかと感じられる。
しかし
広報活動が不十分なのか規模の割にお客さんが少ない。
100名城の名に恥じない金山城を、是非とも多くの人に見て貰いたいため紹介したい。
金山自然公園に車を停め、写真右の通路から本丸を目指す。
歩きやすいよう整備され子供やお年寄りでも安心して歩けるだろう。
金山城の凄い所が、この案内板の多さ。
割とどうでも良い施設まで詳しい説明が書かれている。
発掘時の様子や復元の根拠など、興味のない人は何が書かれているか理解できないレベル。
復元された桟道。
敵は堀切で裂断された尾根を迂回し斜面に作られた桟道を渡って攻め入る。
この桟道は簡素に作られているが、これは有事の際に橋を破壊し敵の侵攻を防ぐ事を目的としている。
ちなみに桟道は危ないので通り抜け不可。
桟道を下から見る。
勿論、桟道は現存していた訳では無い。
発掘調査で柱穴や横板を置く うけ を発見し再現したそうだ。
石垣!
城っぽくなってきた。
ここは物見台下虎口。
通路の先が見えないよう石積が作られた。
馬場下通路。
普通に真っ直ぐ進むと竪堀へ行きつき本丸へは左手の小さな通路を通る。
これは敵を惑わす役目がある。
右側の土塁石垣は敢えて復元せずに発掘当時の崩れたままの様子を残している。
物見台へ。
柱穴が見つかった場所に物見台を造ったがこれは当時の矢倉を再現したものではない。
そこんとこ間違わないようにと、案内板やパンフレットに「当時を再現したものではない」くどい様に記載されていた。
史実通りの復元以外は遺構として認めない。
素晴らしいこだわりっぷり。
物見台からの展望。
本丸方面へ。
色んな遺構が見えてきた。
写真の池は「月ノ池」と呼ばれるため池。
生活用水に使われていた。
おおおおお!!!!!
すげええええ!!!!!
石垣だああああ!!!!!
大手虎口。
当然石垣は復元だが、なるべく発掘された当時の石垣が使用されている。
こだわるなぁ。
金山城が築城されたのは1469年であり信長より古い時代の中世の城と言われる。
発掘調査以前は「関東の中世の山城に石垣は無い」と言われていたが、発掘調査で金山城では石垣が大量に使われていたと分かった。
これは全国的にも珍しいとされる。
石敷遺構展示施設。
手元のパンフレットの真新しい写真と比べると色がくすみ味が出た。
日の池。
勝利や雨乞いの儀式が行われたと言われる。
山城に大きな池が二つもあるのは大変珍しい。
10年程前まではただの水たまりだったが近年整備され立派に復元された。
石垣を多量に使う金山城では雨水の水圧で石垣が決壊する事例が頻繁にあった。
そこで昔の人は城内に排水路を張り巡らして排水したり備蓄用の池に水を引いていた。
私が訪れた日は早朝に雨が降ったため、雨水が水路を通り麓まで豪快に流れるのを見る事が出来た。
金山立体図。
休憩所でちょっと休憩。
自販機あります。
本丸(実城)には現在は新田義貞を祀る新田神社が鎮座している。
以前はこの周辺に売店などがあったようだが現在は建屋だけが残り営業していない。
また、二ノ丸・三ノ丸には謎の廃屋が数軒あったりして薄気味悪い。
日の池周辺と比べて異質な空気を纏っている。
第一期整備事業が終わり、現在は第二期整備事業が進められている。
観光地として展開するのか、硬派な遺跡として復元が進められるのかはまだ分からないが、金山城は相当なポテンシャルを持った観光遺産と言える。
是非有効に開発して頂きたいものだ。
発掘調査は現在も続いている。
案内板や復元レベルの高さを見ても、関係者が楽しんで整備をしているのが伝わる。
それこそ観光客が置いてけぼりな程に。
でもそういうの嫌いじゃない。
発掘の様子を横目で見ながら下山する。
期待以上に楽しかった。
歴史については全く触れませんでしたが、上杉と武田の間に挟まれ複雑に立ち回っていたため説明が難しいのです。
興味ある方は各自で調べてください。
金山の麓には「史跡金山城跡ガイダンス施設」が建てられている。
金山城について詳しく展示されているので是非行ってほしい。
職員の人も結構ガチの人で、隙あらば詳しく解説してくれる。
金山城のミニチュアで職員さんがいかに攻め難いかを説明してくれた。
我々も「いやでもこっちから攻めれば・・」など暫く議論していたが守りが固すぎて攻め落とせない。
「もうじゃあ兵糧攻めにしましょう」と最終手段を提案するが「城内には食べられる果物が多く植えられてるし山もある。飲み水も池で蓄えられてるから無理だね」と一蹴され私は攻めるのを諦めた。
実際、何度か攻められた事はあったがあまりに強固な城で結局誰も攻め落とせなかったようだ。
城も然ることながら、発掘調査でここまで解明した関係者も賞賛に値する。
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