訪問日:2013/01/26
桐生市の山奥に河童神社という謎の神社がある。
個人が勝手に作った神社かと思いきや、GoogleMapにも河童神社の名がしっかりと記されている。
管理人も分からず謎が多い。
謎がいくつか残るが、行ってきた記録をアップしたい。
梅田湖を更に北上し津久原橋近くの路肩に車を停める。
橋の下には鳥居が見えた。
神社まで行くには民家の庭を通らなければならない。
しかし地獄の番犬(放し飼い)に出迎えられ、庭に入ろうとするも激しく吠え立てられ入る事が出来ない。
さすがは河童神社、一筋縄には行かないようだ。
犬を追っ払う作戦から犬と友達になろう作戦に変更し、私は座り込んで「おいでおいで」のポーズを取った。
犬と人間、種類は違えど心を開けば分かち合える筈。
さぁ、おいで(=´▽`=)ノ
すると、手を差しのべた途端にその犬は見下した目で私を一瞥し、私に寄ってくるのでは無く100mほど離れた本来の家に帰ってしまった。
・・・まあ結果オーライ。
と言うかお前ん家ここじゃねぇのかよ。
地獄の番犬を攻略し、いよいよ河童神社へ向かう。
参拝客が休憩できるようにベンチを完備。
赤看板には「河童神社」の文字。
「奉納 河童大明神 足利 金子」とある。
足利、金子というのは管理人の名だろうか・・。
階段を下る。
河童神社
かっぱ
カッパ
ようこそ
いらっしゃい
手作り感溢れる看板。
下地はコピー業者の看板だった。
鳥居。
社殿は無く、大岩と石像が覗える。
この三つの大岩に纏わる民話がこの地に残る。
三人の天狗が力比べにと根本山頂から岩を投げ飛距離を競うが結局三つとも仲良くこの場所に落ち引き分けになったと云う。
河童は関係無いようだ。
三つの岩の間に河童夫妻が住んでおられた。
旦那さんは無表情でイチモツを握る。
旦那さんの臨戦態勢のブツを見る訳でもなく、同じく無表情に虚空を仰ぐ奥さん。
どんな状況だ。
神社内には河童の絵が描かれた石などが置かれていた。
賽銭や供物の様子を見るに、最近手を加えられた形跡は無い。
由緒書きかと思いきや、昭和61年に桐生タイムスに掲載された内容が手書きで書かれていた。
以前は毎年8月に河童祭りたる行事が開催され賑わったそうだ。
見物は河童仮装行列で参加賞やユーモア賞なども出たらしい。
他には特に目ぼしいものは無かった。
神社を後にし近くの「梅田ふるさとセンター」に訪れる。
店員さんに河童神社の事を聞くと詳しくは知らない様子。
店員さんの知る限り現在は神社のイベントは何も行われていないらしい。
桐生市梅田町には河童に纏わる民話が数多く残り、古くからこの地と河童に関係があった事が覗える。
民話を簡略して書き上げると、
【カッパと石金】
釣り好きな爺さんと子供の河童が仲良くなる話
【カッパと飴玉】
子供を河童に連れ去られそうになった時に飴玉をあげたら助かった話
【河童淵の怪】
河童淵で夜中釣りをしていると引きずり込まれそうになった話
【座ぐり穴のカッパ】
河童が座ぐりを回して糸を紡ぐ岩があった話
【河童と馬方】
馬に腕を持って行かれた河童に腕を返してあげたら骨接ぎの方法を教えてもらった話
などがある。
参考サイト一例
伝統文化の森 ふるさと桐生の民話|梅田(1)
神社の制作者は、地元に伝わる伝承を後世に残したいと言う願いから河童神社を作ったのではないかと思う。
私は河童神社を通じてこの地に興味を持ち、梅田町の民話伝承を調べるに至った。
この土地の事を知るきっかけになる事で、河童神社の存在は意味のあるものになるのだと感じた。
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