訪問日:2021/1/15
上野国国分寺跡。
国分寺とはあれだ、奈良時代に聖武天皇が地方ごとに建てさせたバカでかい寺院で、仏教の普及と国家鎮護が目的だが要は今でいう県庁ポジションだ。
歴史紹介は置いておいて、実はここは群馬県民なら思わず「懐かしい!」と思える場所なのだ。何故かと言うと、国分寺は小学校高学年の社会科見学の定番コースであり、授業で歴史を学んだ後に国分寺跡を実際に見て歩いている。たぶん10代、20代、30代の群馬県民なら高確率で訪れてるのでないだろうか。
例に漏れず私も小学生の頃に社会科見学で訪れているが、それっきり20年が経って思い出す事もなく記憶の片隅で風化していた。
が、先日近くで時間を持て余してた際に、ふと思い出して約20年ぶりに訪れてみたのだった。
さて、まずはお勉強タイムだ。
史跡に隣接するガイダンス施設にやってきた。
小学生の頃は綺麗な建物の記憶があるが、時が経って随分年期のある外観になった気がする。
遥か昔に勉強した記憶を思い出しながらビデオを見る。
聖武天皇とか懐かしい!
おお!この七重塔の大型模型、昔見た記憶がある!
この精巧な模型。
当時これに感銘を受けて夏休みの木工工作として私は割箸で銀閣寺を作ったのだ。
記憶が蘇りますなぁ。
ちなみに七重塔の内部には何があったかというと、最上段の部屋にお経が安置されていたのみで、その他はガワだけで部屋すらない無用の建造物。
741年に建立されたと言われる上野国国分寺、いくら天皇の命令とは言え、民家は竪穴住居の時代によくこんな金の掛かる寺院を建てられたなと、半分懐疑的ながらも関心してしまう。
子供の頃は興味なかった古代史だが、何故か今では信仰の観点からの西暦3桁代の古代史は興味津々。当時は受動的な学習だったが、今日では能動的に館長さんにアレコレ質問しながら歴史に触れていく大人な楽しさに気づかされた。
出土した瓦類には文字が刻まれ、例えばその一つに「放光寺」という文字がある。上毛三碑の一つで完全な石碑としては日本でもっとも古い高崎の山上碑にも、「放光寺」の名が刻まれている。そんな関連を知るのも醍醐味の一つ。
あーー、これも懐かしい!
グループになって模造紙に下手くそな字で調べた内容をまとめるやつ!
あんまり覚えてないけどたぶん私も似たのを模造紙を書いてたはず・・!
このように、見るもの全てが「懐かしい!」という感想になり、もはや群馬の歴史ではなく自分自身の歴史を辿っているようだった。
ここで衝撃の事実が発覚。
我々が習った歴史は間違いだった。
どうやら平成24年~28年の発掘調査で国分寺の伽藍配置想定が改まったらしいのだ・・!
なので教科書で習った配置は誤りで、今後はこちらの配置が正となります。
・・・。割と、どうでも良い・・!(笑)
館長さんに教えてもらったが、このガイダンス施設は宮師が作っているらしく、良く見れば釘を使わずほぞを継いで作っている。これは知らなかった。すげえ!
館長さんに散々絡んだ後は外の史跡を見て回る。
この土地は県が買い取ったみたいで、特に復元はされてないので今では広大な土地に礎石が残るのみ。目ぼしい遺構ではないものの確かにこの地に国分寺があったと分かる貴重な遺跡だ。
もちろん私も昔に来たことがある筈だが、ここでの記憶はクラスのみんなでお弁当を食べた事だけだ。
そんな具合で、単に国分寺の史跡見学で訪れても楽しいが、昔社会科見学で訪れている人は再訪する事で深い哀愁に浸ることができる。
史跡もガイダンス施設も無料で入れるので、近くに来た際は寄ってみてくださいな。
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