更新日:2021年10月13日
私は南牧村マニアを自称し当サイトでも南牧村スポットを多数紹介しているが記事にしてない小ネタは精々Twitterで呟いた程度で今ではインターネットの深海に没している。中にはレア情報もあると思っているのでここいらで小ネタ集としてサルベージして整理したいと思う。非常にマニアックな情報だが何かの参考になれれば幸いだ。
南牧村の歴史的街並み
南牧村の歴史ある町並みの文化的価値は相当大きい。
船枻造りの古民家は百余年前の建造物で蒟蒻栽培や養蚕で栄えた時代の物。
重要建造物保存地区として立候補すれば余裕で登録されるポテンシャルを持つが、特に誰も登録運動をしていないので何にも指定されていない。空き家が多く、安いところは家賃1万くらいで古民家を借りられる。
古民家TUEEEEEE
古民家は頑丈なもんで100年くらいならビクともしない。2014年2月の大雪後に空き家が潰れてないか南牧村の方に聞いた時、「蔵が一軒潰れただけで他には雪で潰れたって話は聞いてないねぇ」と言っていて古民家すげぇと改めて感じた。写真の潰れた蔵がたぶん唯一大雪に負けた建物。
石垣の話その1
昭和40年代の南牧村の様子。尾根まで築かれた石垣は圧巻の一言。現在では植林や過疎化により石垣が荒れ、全盛期の石垣の規模には遠く及ばない。ちなみにこの画像は南牧村誌のものだが、群馬県立図書館でB4サイズくらいのカラー版もあった。感動するくらい圧巻だったので一見の価値あり。その資料のタイトルは忘れた。
石垣の話その2
天まで聳える高い段々畑はかつて蒟蒻芋栽培で栄え、蒟蒻芋は黒いダイヤと呼ばれるほど興隆を極めるが、品種改良により村外の平地での栽培可能になり南牧村の傾斜地での蒟蒻芋栽培は斜陽産業となる。使われなくなった段々畑には杉や檜が植えられたが、現在は輸入木材の台頭や鉄筋コンクリートの普及に伴う需要の低下を受けて僻地のコストの掛かる木材は売れなくなった。南牧村の見事な石垣のほとんどは売れずに放置された針葉樹林に埋まっているが、これを切り出して石垣を再生したらもの凄い観光資源になると思う。
石垣の話その3
石垣を組む教えとして「石垣は四つ八つを避ける」と伝わる。一つの石を囲む石の数が四個又は八個では一個の石が抜けた時に全体が崩落してしまうので、必ず五個や六個や七個で囲むようにする。石垣組みは南牧村民には切り離せない作業であり「石垣を組めなければいい百姓になれない」と言われる。
石垣の話その4
石垣を見るとき、側面から見るのと空から見るのとでは随分印象が違う。写真は同じ段々畑を違う角度から撮ったもの。
南牧村の人口
磐戸村月形村尾沢村が合併して南牧村が生まれた昭和30年当時の人口は10573人、令和3年現在は1500人程度まで減少している。
南牧村の石垣文化を書いた2014年頃の人口は2000人だったので、結構なスピードで人口減少が進んでいると分かる。
昭和40年頃発行の南牧村について書かれた書籍を読むと、
「南牧村の人口は減少傾向にあるが、これは日本の山間集落全体に言える事なので気にすることではない」なんて呑気な事言ってて笑えた。
南牧村の山
ゴツゴツした岩山が多い南牧村は標高は低いが上級者向きの山も多く非常に楽しめる。西上州の岩山愛好家も多い。写真は碧岩。
バス
これは道場地区のバス停。1日2本ではなく週に2本の運行。
主要道以外の路線はどこも週2本運行のようだ。
勧能鉱泉
約30年前に廃業した南牧村の勧能鉱泉・玉生舘跡。近くに住むおばあちゃんの話によると、最盛期には宿の部屋が足りなくなり近隣住民の民家の一角を宿泊者へ貸し出すほど賑わったという。
星尾鉱泉
2018年に復活した星尾温泉は
当サイトで紹介した通りだが、かつて温泉スタンドとして使われていたタンクが数年前まで残っていた。
熊倉鉱泉
象ヶ滝へ至る道、この石積が熊倉鉱泉跡かと思っていたが資料を見返すとどうも違うぽい。資料には「象ヶ滝の象ヶ滝の滝壺近くの岩盤から湧出し、下流150mに旅籠屋があった」とあるが、たぶん今は何も痕跡は無い。信州へ至る余地峠が使われていた明治頃は2人の飯盛女が居て旅人や行商人を迎えていたが、鉄道開通による交通の変化により寂れていった。
下星尾の薬師堂
下星尾の薬師堂。南牧村誌の記述によると「自分の年の数だけ『め』と書いた紙を本堂に張り付ける」という変わった風習があり、興味を持ち訪れたものの現在はその風習は継承されていないようだった。
上高原の円学寺
上高原の円学寺ではかつては縁日の4月13日の前夜から寺の庭にむしろを敷き村の男女が寝転んで、その夜は夫婦関係すらご破算となって一大乱行が繰り広げられたと言う。更に古くは7日間この乱行が続けられたとか。地元の方に話を伺うと、乱交祭りは戦前の話で参加した事はないと言う。ただし40年くらい前の縁日は盛大に行い、行商人がやって来たり深夜に護摩行を行っていたらしい。次第に規模は縮小していき、今ではお寺は無人になり下界の別寺の住職さんが時折やってきて僅かに祭事を続けている。境内には男根の石仏があった。
余談だが、寺の境内は昔はもっと広く、車道の開通時に大きく削られたと言う。車道開通前は麓の町まで行くには尾根筋の山道しか道が無く、相当な僻地であったらしい。
椚石採石場
椚で産出する椚石と呼ばれる石材。江戸時代から採石され富岡製糸場や日本銀行にも使用されている。採石場や加工途中の石材などを間近で見ることができ、「石の駅」として多少整備されている。
砥沢の砥石採掘跡(江戸期)
16世紀から砥石の採掘が始まり、江戸時代には幕府指定の御用砥の産地として発展し昭和初期まで採掘が行われていた。今では露天掘りの採掘跡から歴史を偲ばせる。伝説によると猿が砥石を見つけたとされ、砥山神社では猿が神遣として狛犬ではなく狛猿が鎮座する。
砥沢の砥石採掘跡(昭和期)
山奥の近代の砥石採掘跡。レールや丸のこの残骸が残置されていた。
他にも採掘跡はあるが地主との関係であんまり公開されてない。
南牧村民俗資料館に良い資料がある。
砥石販売
今でも道の駅などで南牧村産の砥石が売られているが、採掘はとうの昔に終わり現在では在庫品を細々と売っているだけである。買うなら今が最後。写真は砥沢の加工場。
南牧村の金鉱山
武田信玄の隠し金山とも言われるが南牧村には金鉱山跡がいくつかある。アクセスが容易なのは砥沢の砥沢神社境内にポカリと穴を開けている廃坑道。地元の方の話によると金を求めて昔掘ったが何も出てこなかったという。コウモリが住みつき地元では「コウモリ穴」と呼ばれている。
底瀬の亀甲石
上野村の亀甲石が有名だが南牧村も底瀬で亀甲石が見られる。一昔前に流行って程度が良いのは取りつくされたらしいが、今でも川原に降りると亀の甲羅模様の大岩が転がっていた。写真は撮ってない。
底瀬の鍾乳洞
地元民のみぞ知る底瀬の小さな鍾乳洞。石仏の脇から四つん這いになって5mほど這い入ると、小さいながらも変化に富んだ吹き抜けのホールに着く。最奥地には石仏が安置され美しく神聖な空間に思わず感嘆の声を漏らす。話を聞くと嘗ては地元の子供たちの遊び場だったと言う。かつては滝を登る鯉のような鍾乳石があったそうだが盗まれてしまったらしい。
某鍾乳洞
南牧村に色々な鍾乳洞があるがここが一番大きく広かった。縦横無尽に分岐が広がり完全制覇は成し得てない。
大仁田の水力発電所遺構
大仁田の古老に「大正時代の発電所跡をご存知ですか」と伺うと、段々畑を指差し「この辺の石垣は発電所水路の土管を使ってるよ」と、言われねば分からぬ衝撃の事実を教えてくれた。取水口にはコンクリート製の堰が、畑の上には水槽も残っていた。
蝉の渓谷
六車の蝉の渓谷。蝉は狭水(せみ)が転訛したと言われたり言われなかったり。現地にある古い地図を見ると近くの鉱山住宅も載っていて楽しい。
熊倉集落
南牧村最奥地の熊倉集落。"風情ある町並み" を通り越し廃村の危機を迎える限界集落。天高く築かれた段々畑は荒れ果て、廃屋が目立ち、人の姿は見えなかった。
底瀬の野猿跡
野猿を見つけた。川向こうの畑との運搬に使用されていたと思われる。今は使用されていないが現存するのは珍しい。
高原の索道跡
近代の索道跡。対岸の畑を結ぶ物資輸送用として使用された。モーター以外は完全な形で残っている複線交走式の索道。地元の方を見つけてお話を伺うと、急峻な土地の畑が点在するこの地では数多くの索道が山々を往来していたと言う。
磐戸の椚橋
地元椚で採掘される椚石で組まれた石造アーチ橋。昭和六年に架橋され平成二年に拡張された。てっきり平成二年に橋を架け直したと思いきや、橋の裏から観察すると昭和六年の橋はそのままに、幅員を拡張する形でアーチ橋が追加されていた。
青木石材店のページに架橋当時の写真があるので要確認。
旧塩沢峠の道しるべ
今では南牧村から上野村へのアクセスは湯の沢トンネルで楽々だが、湯の沢トンネル開通の2003年以前は塩ノ沢峠を使用していた。塩ノ沢峠が車道になったのが昭和30年頃で、更にその前は山道を使って上野村と往来していた。その古道を歩いていたら道標を発見した。
右 多野郡上野村塩ノ澤
左 磐戸青倉ヲ経てテ下仁田町
大正十二年磐戸村青年會
宋胡録美術館
タイの伝統的な陶器である宋胡録(スンコロク)の保存・普及に尽力する中瀬氏の作品が多数展示される。今の宋胡録があるのは中瀬氏の功績と言ってよい。星尾に工房を置き、全国に宋胡録を広める活動を続けている。
星尾風穴
石垣の中は冷気で満たされ5月初旬でも雪が残っていた。明治42年の星尾風穴の蚕種枚数は40000枚であり、荒船風穴の1100000枚と比べ30分の1程度の枚数となっている。
道場の山神宮
大変珍しい鳥居。笠木に千木と鰹木が乗っている。南牧独自の特殊な様式がある訳ではなく、単にハンドメイドで造られたため風変りな鳥居が生まれた。社殿の狛犬も可愛かった。
デルピス号
底瀬付近で堆肥を運ぶデルピス号を見つけた。
※デルピス号とは下仁田発の小型特殊自動車。西上州界隈でしか見られないレアな自動車。
南牧村立山の美術館
大塩沢の山の美術館。行ったら閉まってたので調べてみると村の財政難で約10年前に閉館したらしい。窓から覗くと作品が見えた。
旧尾沢中学校
村民に愛された木造の廃校舎。2017年に失火で全焼した。裏話は色々ある。
なんもく村商品券
数年前に流通していた南牧村内専用の紙幣。偽造防止技術がふんだんに使われ無駄にクオリティが高い。現在は購入不可。
おやすみ処 たけきや
羽沢にある軽食屋に見せかけて実は情報屋、と見せかけて普通に軽食屋。南牧村の深い情報がここに集まりとても面白い。
カレーの付け合わせのミョウガをポリポリ食べてたら「ミョウガはご飯と一緒に食べるんだよ!」と凄く怒られた。
村の喫茶店もくもく
南牧村地域おこし協力隊の御二方が小沢に開店したカフェ。青年海外協力隊で訪れていたウガンダのコーヒーと、村で採れた食材を使ったふわふわの卵サンドを提供する。南牧村の穏やかな時間が流れていて居心地が良かった。土日のみ営業。
食用ほうずき
数年前から南牧村では食用のほうずき栽培されて夏から秋頃になると道の駅に売られている。とても不思議な味だった。
群馬B級スポット トップページ