訪問日:2020~2021年
当記事は大部分を「日本の性神 上信越編」を参考にしている。
この資料は県立図書館で偶然出会い、
刊行の昭和49年当時と比較して現在の様子に変わりがないか興味を持ち、この度の性神巡礼に至った。
結果として神社や仏像の様子に殆ど変化はなかったが、これは信仰が続いている訳ではなく既に性神に対する信仰は衰退していた50年前のままの姿で忘れ去られていたと言っても良い。
現代においては当然の流れではあるが、そんな~時代も~ああ~たねと~、路傍の民間信仰の痕跡を備忘録的に書き留める。
福守神社
住宅地に隣接する小さな神社。
祭神は木花開耶姫とされ、子宝や子育ての神として地元で信仰されている。
社殿には男根が奉納されているがその数は少なく、昭和初期まではおびただしい数の男根で溢れていたが、平成の社殿改築の際に大部分が処分され現存数は極めて少なくなったと言う。
創建:延宝六年(1678年)
橘神社境内の福守神社
前橋市田口町の橘神社の裏手の小道を登った先に摂社末社が連なっていて、
その内の一つが福守神社であり子孫繁栄や性病の快癒を祈って男根が奉納されてる。
御神体は高さ102cm、直径45cm、重量104kgの巨大男根。
奉納:嘉永七年(1854年)
落合の交合道祖神
全国的にもかなり珍しい性交している双体道祖神。
春画のような躍動感。有名過ぎる余りに群馬県内にレプリカの双体道祖神も存在する。
建立:宝暦十年(1760年)
また、「日本の性神 上信越編」の説明文が素晴らし過ぎるので引用したい。
”互に目を閉じて抱き合う二神は写実的で、神というよりはあまりにも人間味に溢れ、性の欲求を姿態に剥き出しにしているけれど、野趣に富む上に、庶民に対して子孫繁栄の手本を示すようで、微塵も卑猥感がなく、田畑を刺激して実らせる田の神の役目も充分に果たしている。”
六合村の交合双体道祖神
こちらもたぶん座位にて合体中の双体道祖神。
燃え上がる喜悦の表情は観音堂の石仏群の中でもひときわ存在感を放っていた。
沢渡の乳揉み双体道祖神
沢渡神社境内の双体道祖神。
男神の左手が女神の緩い胸元にそろりと伸び、さも自然なタッチで乳を揉んでいる。
子孫繁栄のご利益の他、乳の出が悪い婦人が祈願していたという。
六合村の抱擁双体道祖神
男神の背後から優しく寄りかかる女神は恥じらいと情愛に満ちている。
女神の左手は男神の股の棒を握っているようにも見える。
中室田の接吻双体道祖神
ぶちゅーっとキッスしています。
建立:宝暦七年(1757年)
野殿の男根付き道祖神
道祖神に子孫繁栄機能を追加するべく台座に男根を線刻した、拡張性に富んだ道祖神。
本来台座はもっと大きいのだが近年コンクリートで半分埋められたようだ。
男根の長さは28cmとなかなかのものである。この道祖神を探し当てるのに非常に苦労した。
建立:道祖神文字碑は寛政四年、男根の建立は不明。
向原のきんまら薬師
「きんまら」とは金精神であり、民間信仰により薬師如来と金精神を混ぜ合わせたもので全国的にも奇抜で珍しい。言わずもがな子孫繁栄を祈願する男根崇拝だが、彫りが深くて力強いのが印象的。この石仏も見つけるのに非常に苦労した。
最善寺のきんまら薬師
二本の男根を携えた薬師如来。
施主は萩原氏と刻まれ、向原のきんまら薬師と同一作風から深い関係があると思われる。
建立:安永九年(1780年)
棟高の山王猿
庚申塚の一角に赤布を巻かれた石猿がいる。
腰巻を解くと、乳房を揉みしだきメス猿の陰部が露になっている
婦人病にご利益があり大願成就の折には猿像の陰部を朱に塗る。
保育園のすぐ近くなので赤布は巻いておきましょう。
以上、私が気になる群馬の性神を巡ってみた。
尚、金精信仰の聖地である金精峠はまだ未踏なのでそのうち行ってみたいと思っている。
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