訪問日:2019/7/27
江戸時代にはそこら中にあった渡し船。
近代の土木技術の向上により架橋が容易となり渡し船の役割は少なくなったが、今でも日本に数か所の渡し船が現存し、群馬県内においては千代田町の「赤岩の渡し」や伊勢崎市の「島村渡船」が現在でも稼働している。特にこれらの利根川流域は河川氾濫が頻発し、架橋の難しさから渡し船が近年まで存続したと考える。
まずは地形の説明から。
ここ一帯の利根川沿岸地域では河川氾濫による水害に度々悩まされ、明治大正期の堤防改修工事の際に蛇行していた河川を整備したことで境島村が完全に分断される結果となった。すると川向こうの飛び地の住民は大変な不便を要することになり、そんな背景があって今でも渡し船が公道扱いで無料で運航しているのだろう。とは言っても車社会の現代では利用者の殆どは観光客であることは間違いない。
島村渡船の利用方法
利根川の北側(群馬県側)から乗る場合、利根川水辺プラザ公園に車を停めて堤防に上がると渡船小屋があるので、小屋の中にいる船頭さんに対岸に行きたいことを告げると舟の準備をしてくれる。この時、渡船小屋に赤旗が上っていたら運休中との事なので注意が必要。
船頭さんに声を掛けると待ってましたとばかりに立ち上がり、「先行って準備してるよ」と自転車で船着き場に漕ぎだした。河川敷が広いために堤防から船着き場まではやや歩く。
船着き場へ到着。
備え付けのライフジェケットを着て準備万端。
対岸に向けて出航!
船の動力はエンジン、思いの他速い。
余談だが、ちょうど境島村までは河口からの標高差がほとんど無いため東京からここまで手漕ぎボートでも遡行できる。そんな事からこの辺りは江戸期や鉄道敷設以前は水運の要衝になり、様々な物資や情報が行き交う立地条件が深谷出身の渋沢栄一の成功の大きな一因にもなっている。
数分の船旅を終えて対岸へ到着。
船着き場は台風でよく壊れ、場所もたまに変わる。
江戸時代中期頃から続く島村渡船。約300年の間で社会は大きく変化したが、幸運にも時代時代にそれぞれの需要があった事により今日まで廃止にならず存続するに至る。長きに渡り連続性を持つ歴史は非常に価値が高い。現代において渡し船文化に触れることが出来る事に感謝しつつ、未だに乗った経験が無い人は是非とも乗船して欲しいと思う。
船から降りて船頭さんに礼を言うと、船は来た航路を颯爽と戻っていった。
さて利根川の南側(埼玉側)には世界遺産があるので観光していこう。船着き場から10分歩いて田島弥平旧宅に到着した。ここは富岡製糸場と絹産業遺産群の構成遺産の一つ、まごうことなく世界遺産の田島弥平旧宅だ。
特に事前勉強は無しで行ったがスタッフさんが常駐して色々と案内や説明をしてくれるのでとても勉強になったし面白い話も聞けた。
ちなみに更に40分くらい歩けば深谷の渋沢栄一記念館にも行ける。
では帰りましょう。
こちらから乗る場合、船着き場の黄旗を上げると対岸の船頭さんが発見してくれて、船で迎えに来てくれる。旗を上げて10分くらいして、船が向かってくるのが見えた。
帰りもお願いします。
結局今日は、無料で船を乗り、無料で世界遺産を見学し、一円も払うことなく随分と楽しんでしまった。無賃乗車に申し訳なさも感じるが、あくまで渡し船は「県道」であり、伊勢崎市がしっかり負担しているので大丈夫です。気軽に船旅を楽しんできてください。
運航状況
4月1日から9月30日:午前8時30分から午後5時まで
10月1日から10月中旬:午前8時30分から午後4時30分まで
昼休み:正午から午後1時まで
詳細は
公式サイト参照。
悪天候時や増水時は運休となるので要注意。
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